[バブルのときの異常な日常風景]
正直僕らぐらいの世代は本気でバブル時代を知らないのでまさに”ありえない”日常がそこにはあったんだなぁ、と思う。
「あの頃はよかったなぁ」という”あの頃を”僕らは知らないんだけれども、こんな時代があったらいくらでもいきたいヨ、ホント。
なんというか、昭和という時代(あえて”時代”って言うけどさ)は恐らく平成エイジにとっては
「敷かれたレールの行く末が”見えない何かに”保障されている不思議な時代」というように捉えられるだろう。うらやましいというか、平和ボケしてあまあま。そのおかげで弱体化した日本社会の歪みを団塊の世代やジュニア世代が嘆くってのも自己矛盾。
就活なんかやってても今したり顔で説明している団塊ジュニアぐらいの人たちは大学名がフリーパスだったような状態、今じゃ考えられない。
大型採用が約束されている好条件下で大学ブランドやコネを振りかざして就職した彼らだって当然仕事はやっている中で覚えたんだろうし、20代前半の若造が日本の資本社会で渡り歩いていける能力を持っている方が稀有なはず、なのに彼らがそういった能力を判定して(その基準はとっても曖昧に見える。。)就職の合否を決めるというのもなんだか憤懣やるかたない。
ぼくらは、社会を悲観的に見すぎなのだろうか。