おきたら夕方、おはようございます。
成績飛来とか、気がついたら終わってました。その辺は
工房で。
一日が無駄に終わるのもしょうがないので久しぶりにまじめな記事を書いてみます。
少しうだうだと長いので続きは上のリンクから。
(といってもmixiから来た人は直接記事をみているので関係ないでしょうが。。)
[Winny個人情報流出まとめ]
何故か最近Winny関連のニュースがオフラインを飛び交っている。
すごく、すごく今更感がある。
まずはひとえに業務中にファイル交換ソフトを使って遊んでいる馬鹿が大馬鹿にもウィルスにかかって自分のパソコンの中身を公開しているというのが事の発端らしいのだが。
私からするとこの時点で疑問だ。
Winnyの開発者・金子氏が逮捕されてからWinnyユーザーの多くが他のP2Pファイル共有ソフト(Share、Cabosなど)に流れた(*)ことを鑑みると山田ウィルスなどにかかって個人情報をばら撒いているのはWinnyユーザーだけではないはずだ。
したがって「Winnyユーザーだけが個人情報をばら撒いている」という因果関係は発生せず、同時に「Winnyがウィルスを媒介させ個人情報をばら撒く張本人」という結びつけは実に短絡的であると言わざるを得ない。
ましてやP2P技術が悪であるというしたり顔のコメンテータは朝から見るに耐えない。
それを言ってしまえば「メールはウィルスやスパムを媒介する張本人、POPはそう言った技術だから潰すべきだ」という議論もする必要がある。
この辺に音楽やら映画、テレビ、ソフトウェア会社等関連団体・業界団体の影が見えてならないのだ。
代表格のWinnyが弱っているうちに叩き潰してそれを突破口にP2Pファイル共有ソフトを根絶やしにしたい、そのための印象操作なのだと。
第二十回公判は実にそれが分かりやすい主張が出ている。
[Winnyは関係ない、開発者が主張]
まずは親玉だけでも潰したい、という感はあるがWinMX、Winnyときて他の派生ソフトも海千山千。Winozとかも出てきたらいたちごっこになるんでしょう。それはきっと根本的なところから解決がなされていないからだ。
が、業界団体や関連団体は根本的なところから解決されたら恐らく困るだろう。少なくとも自らの不振の責任を擦り付ける先がなくなるからだ。
インターネットの発展以来技術決定論(技術が社会を引っ張っていく、レッシグのアーキテクチャ的な話)が批判されることは多々あるが、どのような意図であれ技術は技術であり、有効な活用・運用方法はやはり人間がつくりゆくものだ。本来その自律のために法が存在するはずだ。著作権もその一つ。
私は、著作権法に反することはこの社会では悪であるべきだと考えるが、同時にその法を逆手にとって公共の福祉に反する利権を貪る者も悪だと考える。
また、市民生活を妨げ脅かすような脅威となり、社会の発展を妨げるような法は改正の道を歩まなければならないとも思っている。
日本のインターネットの父・むらえもんもそう言った”我々の見えない何か”とずっと戦ってきたんだろう。
裁判の証言台に立つなんて相当の覚悟がなければできない。
[第十九回公判、村井教授の証言]
ここに来て検察側に少し齟齬が出てきた気がする。
絶対的な悪は本当は存在するのかもしれないが、何をもって悪とする基準がない以上客観的主観(客観性を持たせようと必死になって意識した主観。こういっては元も子もないのだけれど)によって相対的に善悪の判定がなされる。
その上でこう言う矛盾を許していただきたい。
人間の悪を直視せず自らの子である技術にその責任を擦り付け、あまつさえ人間の悪を転嫁させるのは、やはり人間の悪であると。
まぁ一つはっきりいえることは。
こんなこといっている奴は就職できないぞ、と。(汗
*
Winnyユーザーはマスコミの言うように(Winnyが生きていることが分かった、個人情報が流れている、という理由から)増えてもいるが実際減っている。ニュートン算ではないが結果を見ると増えているが初期のユーザーの多くは別のソフトに乗り換えている。