[カメダに苦言を呈するガッツ]
普段マスメディアに登場するカメダとガッツ。
彼らには共通点がある。
端的に言えば、マスメディアに登場する彼らは”作られたイメージのカタマリ”、つまり偶像なのだ。
その点に関して上記の記事でガッツが”驚くほど”ビシリと指摘しているのは何やら皮肉めいたものがある。
普段テレビ番組に登場するガッツは「OK牧場?」であったりはなわの歌を地で行くようなそれはそれはヒドいおっさんというイメージがある。
(無論そういう性格が一切ないとは言えないのだが)が、実際のガッツ石松とはそう言った甘っちょろいイメージとは隔絶された男なのである。
何故ガッツ石松が昨今解説者として呼ばれないか?渡嘉敷勝男ばかりなのか?
それはガッツがアーパーなのではなく、あまりに”的確すぎて”見るほうが堪えないからである。
その野生から、実力差を確実に見極め、「こりゃダメだね」とあっさり言い切ってしまうのである。そこに所謂「10対10のイーブンです」と言っておけばよいといった日本的なごまかしはないのである。
特に大橋秀行がリカルドロペスと相対したときなど、ロペスを1R見た瞬間「大橋君はまずいね」と言ってしまうほどなのだ。(それ程世界チャンプ級の外国人ボクサーと日本人が戦うときは実力差が激しいというのもあるのだけれど。)
ワールドカップで日本代表がブラジル代表に蹂躙されている最中に「もうだめだね」という解説者はまず間違いなくいないだろう。例えそう思っていても。本当はそういう解説が出来るからこその解説者であり、必要であるはずなのだが、”テレビ的にはよくない”ので昨今まず間違いなくいない、そしてガッツも登場しなくなった。
そしていつしかライト級を制した偉大なチャンピオンはあーぱーにされてしまった。
今ボクシングの解説に頻繁に出てくる渡嘉敷勝男氏(それでも最近は理論派で理知的、絵にもなる飯田覚士が台頭してきたのだが)は奇しくもカメダの所属する協栄ジム(業界最大手の一つ)出身。その権力たるや
ヤクザ級に絶大なものがある。まぁ、大きな声では言えないが、まがりなくそういうところだ。
ボクシングはショーではない。スポーツだ。
今こそ、ショー化に見受けられる商業主義一辺倒から脱却し、本当に闘える選手をつくりあげる体系だった環境にも力を注ぐべきだ。