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2006年10月の記事

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2006年10月31日(火) 03:22

PSPの進化

「PSP エミュ」とか「PS2 エミュ」というキーワードで頻繁に検索されていますが、全然そんなコンテンツはありませんからあしからず。
記事はあるけどね。

そんな日本が誇るSONY製品のご紹介。

[PSPがGPSレシーバーとカメラを積んだ結果]

カーナビになるようです。キタコレ!

カーナビって高いからなぁ。
これくらい汎用性が高いことを端から実証してアピールできればポータブルコンピュータとしてPSPは本当によく出来てるって言えるよね。画面も大きいし。



しかしカメラアタッチメントができるならロコロコどうにかできるだろ・・・とか考えてしまう。2とか期待だ。

written by sofuwe [アイテム] [この記事のURL] [コメントを書く] [コメント(0)]

2006年10月27日(金) 01:44

教育とは何ぞや

指導要領にそぐわぬ形で必修の単位を受験科目に振り替えたりする高校が相次いで発覚して、問題は今広がりを見せている。

この問題、実は相当に根深いはずだ。

高校卒業資格を有することが出来る、と謳って生徒を募集していることから、国公立であれば職務怠慢であろうし、私学であれば詐欺が成立するはずだ。

加えて学校教育法により学習指導要領の拘束力が認められている、という考え方があり、これに伴い指導要領にそぐわぬカリキュラムの実施も脱法行為と考えられなくもない。教育は少なくとも(”日本国民”をつくりあげる)政策の一面を持ち、その意に反する行為を私利のために行っているのであれば脱法は明確である。

いずれにせよ自校の生徒のみの便宜を図る(だってこれ集団フライングみたなもんだぜ?)ようなカリキュラムの制定は公の性質を持つ(教育基本法・第6条)機関としての体裁をなしていないことを考えると、謝罪と身内内の処分で済む問題ではないことは明白だ。

この件に関して特別待遇をとるべきではなく、速やかに未履修科目の補習を行わせるべきであり、従わない場合の仮処分(高卒資格の停止等)などを含めて法治国家としては脱法行為を厳に取り締まるべきである。


しかし割を喰うのはいつの世も子供らで、どのような対応をしても受験界においては既に甚大な不平等が生じていることを考えると、教育ってやはり国の政策なんだね、大人のものなんだね、という感を受けてしまう。

written by sofuwe [仕事] [この記事のURL] [コメントを書く] [コメント(1)]

2006年10月26日(木) 18:07

ストレージの進化

[PC環境を詰め込んで持ち歩くソフト MojoPac]

ブリーフケースの拡張版みたいなものだろうか。
しかしIT革命元年たる2000年と比べても技術革新は目覚ましい。

そういえばRのライティング談義とかしなくなったなぁ。

written by sofuwe [tips] [この記事のURL] [コメントを書く] [コメント(0)]

2006年10月26日(木) 05:19

時間の虜

[12時には寝るかな → 1時かぁ、1時半に寝よう →]

同じ時間の消費でも、「潰すこと自体に価値がある」という考え方は”贅沢・嗜好”、↑記事のような潰し方は”浪費”と分けられそうだ。
これは極めて主観的判断基準で分けられるが、”何に価値を置くか”ということが主観によって決められることから、主観からの脱却は不可能だろう。

この時間消費がどのようにライフスタイルに影響を及ぼすか、というのは自分の時間の使い方が”贅沢・嗜好”か”浪費”かのどちらに判断されるかでまた針が振れる気がする。。

さておき、NEETが経済活動から脱却した”ひとり上手”だとすると、楽しみ・趣味嗜好に”時間を費やす”という感覚(忙しい人はその瞬間の楽しみを全開で満喫するが、あまりに浸かりすぎたひとは”何をしていたんだろう”的なカンカクに陥る、という趣旨)に陥る超常状態を迎えている、いわば新人類と言えるのではないだろうか・・・ってねーよwww

written by sofuwe [授業・研究] [この記事のURL] [コメントを書く] [コメント(0)]

2006年10月25日(水) 01:45

既得権益と公正原則

[ぶら下がり取材に政府カメラは入ってくんな]

例えば政府が撮りおいた映像をマスコミ各社に回して”使え”、とかNHKに放送命令を下す、とかだってんなら著しく干渉が認められるし放送法に抵触するだろうけれど、「最優先に取材させろ、広報してんな」というところは癒着からの逸脱じゃなくて、自分達の既得権を守ろうとしてるだけな感じを受けるよなぁ。

少なくとも現状でも既に政治信条や市場において公正だとはいえないだろうし、おためごかしもネットがある以上通用しなくなってきた感はある(だからといってネットの無条件全幅信奉は危険であるが。)。
これから更にマスメディアが何らかの理由で”マス”ではなくなってきたとしたら、公共財として正義の片棒を”強引に”担ぐこともなかろうし、その対価として得ていた既得権も剥奪してしまってもいいんじゃねーの?

いつやるかの分水嶺(基準)はどうするのか、とかその手段・手法はどうするのか、とかそうなったあとのメディアの群雄割拠はどうシミュレーションされるのか、とかいろいろ考えることはありそうだ。

written by sofuwe [授業・研究] [この記事のURL] [コメントを書く] [コメント(0)]

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