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2007年3月17日(土) 03:50

[メモ]I'dと”法”

前回に引き続き英文法のメモ。

@ 英文法項目における”法”→”動詞の形”を意味する
この”法”は、英語においては三種類しか存在しない。

T.直説法 → 様々な形が存在。
U.命令法 → 命令形。動詞は必ず原型を用いる = be動詞はbeしか存在しない
V.仮定法 → be動詞はwereしか存在しない。

仮定法においてwasを使わないのは、「そもそも仮定”法”の世界でwasは存在しないからである」という説明がなしえる。

 また、”法”的解釈からすると、would,shoul,couldなどを使った仮定法は「動詞ではない(助動詞)ものの過去形、すなわち過去相当表現」であるから、仮定法とは呼べない。(ただし訳はなんらかわりがないのだが)。

A 「I'd」はわざとである。
 「I'd」とは「I would」「I should」「I had」いずれかの短縮表現であるが、これのいずれかの判定をする必要は実はない。

 仮定法においては「would,should,could,mightなどを区別なく使える」が如く文法書には記載されている。おおよそ正しく、通常の仮定法においては問題はないが(そのため万能選手が如くshoudを使った仮定法を最初に学習させられると思われる。)、本来の助動詞の意味合いを含めたい場合は厳密に使い分ける必要がある。例えば「〜すべきだったのに」という場合ならば「shoud」を使う、といったように。

 アメリカ英語は好んで「I would」を使い、クイーンイングリッシュにおいては「I should」を使うが(「should like to V」なる表現もある)、おおよその場合意味を使い分ける必要がない。したがってこの区別を曖昧にすべく(判定するのがいちいちメンドイ)短縮表現「I'd」を同じ形にしてしまった、と思われる。

 つまり、よほど厳密に意味を解釈する必要に迫られない限りは、I'dを元に戻すことは野暮なのだ。

written by sofuwe [授業・研究] [この記事のURL] [コメントを書く] [コメント(0)]

2007年3月15日(木) 01:55

爆弾と村八分

[Googlebombをやっつけろ]

”Google八分”に対抗するような”Googlebomb”。
そしてGooglebomb潰しがあるならば八分潰しもできるはずでは。

うーん、やっぱりイタチゴッコ。

written by sofuwe [授業・研究] [この記事のURL] [コメントを書く] [コメント(0)]

2007年3月15日(木) 01:51

[メモ]助動詞be

今日も仕事したっつーか理科と英語と数学の勉強をしこたましたって感じです。特に教わった英語は目からウロコだったのでメモ。

@ beの用途は主に「助動詞」である
→例外として「〜である(同等、第二文型)」「〜がいる・ある(第一文型)」という意味を表す動詞になるが、助動詞であることを念頭に置かなければならない。これはhaveにおいても同じである。
 こうした見地から、be,haveは助動詞、ないしは日本語で言う「補助動詞」として扱うべきかもしれない。

A @において、「助動詞のあとには原型がくる」という常識は崩れ去る
→現在分詞、過去分詞、to不定詞(いわゆる「be to不定詞」)などの準動詞を見ればそれは明らか。少なくとも疑問文・否定文の作り方においては知られているところである。
 では助動詞の後ろに来ている原型はなんなのか? これは原型不定詞であると考えると「助動詞にあとには(原型動詞ではなく)動詞に準ずるものがくる」という説明が正しいだろう。

B be to不定詞の覚え方
→「会議用も」

か…可能
い…意思
ぎ…義務
よ…予定
う…運命
も…目的

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2007年3月13日(火) 01:50

マスメディアにできること

[取材の可視化…?]

マスコミに従事する新聞社やテレビ局が情報を占有できなくなってきた昨今、それぞれの企業体質まで暴かれて”マスコミュニケーション”という一対多による一方的な情報送信に対して強い不信感が生まれてきた訳だ。

概ね佐々木氏の言うところには同意できるのだが、取材を可視化したところで企業体質が変わらなければ信頼など根本から取り戻せるものでもないし、そもそも信頼とは不可逆に近いものだろう。

なにより、マスコミによる”情報の評価”の時代はとっくに終わってしまったのだ。一次情報を持ってこれるのは確かに強いのだが、情報の評価者が力を握る時代にあって、マスコミは信頼に始まり権力を失う一方だろう。

一方、マスメディアという言い方をすればインターネットもまたそのインフラとしては然りで、Blogだろうが掲示板だろうが、マスコミュニケーションの役目を充分果たせるところまできている。
そうした空気を読めず、また読まない”社会の評価者”にはその資格がないのかもしれないし、その能力すらないのであればはやり見合った信頼はおかれない。

そういった機微まで考える、インテリジェンス機関を設置するなどの本腰を入れるところから始めないと、日本の報道機関はダメになる。

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2007年3月11日(日) 05:56

仮想ケーススタディ

[3匹の仔豚が狼をぬっ殺した場合殺人罪か? という中学の勉強]

中学生を必要以上に悩ませる「前提条件の欠落(法を適用するにふさわしい主体・客体(人)の欠落、など)」なんかはあったりするけれども、取り組みは面白いなぁ。

written by sofuwe [授業・研究] [この記事のURL] [コメントを書く] [コメント(0)]

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MySketch 2.7.2 written by 夕雨