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2006年10月26日(木) 05:19

時間の虜

[12時には寝るかな → 1時かぁ、1時半に寝よう →]

同じ時間の消費でも、「潰すこと自体に価値がある」という考え方は”贅沢・嗜好”、↑記事のような潰し方は”浪費”と分けられそうだ。
これは極めて主観的判断基準で分けられるが、”何に価値を置くか”ということが主観によって決められることから、主観からの脱却は不可能だろう。

この時間消費がどのようにライフスタイルに影響を及ぼすか、というのは自分の時間の使い方が”贅沢・嗜好”か”浪費”かのどちらに判断されるかでまた針が振れる気がする。。

さておき、NEETが経済活動から脱却した”ひとり上手”だとすると、楽しみ・趣味嗜好に”時間を費やす”という感覚(忙しい人はその瞬間の楽しみを全開で満喫するが、あまりに浸かりすぎたひとは”何をしていたんだろう”的なカンカクに陥る、という趣旨)に陥る超常状態を迎えている、いわば新人類と言えるのではないだろうか・・・ってねーよwww

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2006年10月25日(水) 01:45

既得権益と公正原則

[ぶら下がり取材に政府カメラは入ってくんな]

例えば政府が撮りおいた映像をマスコミ各社に回して”使え”、とかNHKに放送命令を下す、とかだってんなら著しく干渉が認められるし放送法に抵触するだろうけれど、「最優先に取材させろ、広報してんな」というところは癒着からの逸脱じゃなくて、自分達の既得権を守ろうとしてるだけな感じを受けるよなぁ。

少なくとも現状でも既に政治信条や市場において公正だとはいえないだろうし、おためごかしもネットがある以上通用しなくなってきた感はある(だからといってネットの無条件全幅信奉は危険であるが。)。
これから更にマスメディアが何らかの理由で”マス”ではなくなってきたとしたら、公共財として正義の片棒を”強引に”担ぐこともなかろうし、その対価として得ていた既得権も剥奪してしまってもいいんじゃねーの?

いつやるかの分水嶺(基準)はどうするのか、とかその手段・手法はどうするのか、とかそうなったあとのメディアの群雄割拠はどうシミュレーションされるのか、とかいろいろ考えることはありそうだ。

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2006年10月22日(日) 02:11

届かない叫び

[ヲタクの叫び]


前々回のエントリにもあったが、ほっといてくれ、というのが要であり、即ちプライヴァシーそのものなんだろうね。

ただ、ダンゴムシは人間にとっては害虫だから彼らの主張の如何を問わず駆除されてしまうのだが・・・

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2006年10月21日(土) 01:21

卵と鶏

[オタクは顔や人相が異様]


因果関係が無いような気もするけどなぁ・・・妙に明るくてイケメンなヲタだってそこら中におるわけだし。
社会性・社交性の高い人間の目が腐ってる事だっていくらでもある。
そもそも「ハキハキ明るいヲタ」も、元の顔の素地如何でキモイ/キモクナイが分かれるだろうし。

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2006年10月17日(火) 00:51

見たこともない

[ジンバブエ、未曾有のインフレに突入]


そもそも1200%という数字自体を見たことがないw;

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MySketch 2.7.2 written by 夕雨