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2006年8月12日(土) 22:18
日本語がすごいのか日本人の妄想力がすごいのか、どっちがどうなっているのかはよく分からないけれど、象形に対する愛は並々ならぬものがある。
例えばトリビアで紹介されてた
ぷ。
なんかは「ボーリングをしている人」に見えるし、
λλ λ...
なんか強制連行されていく囚人のようだ。
単体だとネッシーに見えなくもない。この辺はフォントによるだろう。
ΩΩ Ω<なんだってー
というのはどこのMMR?みたいな感じだし、
π三
何だか動くイキモノっぽくなって嫌だ。
ちなみにMSゴシックだとイスみたいにみえる。
日公 c
なんかはとある企業名に見える。
同様の見方をすれば
晃
なんか観光地に見えて仕方ない。
こうなると
にしこり
これすら松井にみえてくるだろうが、最早AAである。
(一文字二文字であろうとAAであることには間違いがないが。)
それを考えるとギャル文字を使っている連中とこういった言葉遊びは”違う世界だが、同じ社会の同じ文脈”といったところなんだろうか。うーんビミョウ。
まぁ共通しているのは、違う社会の人と話すときは”共通言語”ではないことを意識すべきだ、というところでしょうか。(みんなが分かってると思って使っちゃアカンですよ、ということ。)
written by sofuwe
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2006年8月12日(土) 09:19
何故みんな亀田家に厳しいのか?
何故世の中からアンチ読売が消えないのか?
何故ネット上ではマスコミはマスゴミ扱いなのか?
その根幹には”空気”があるのではないだろうか。
端的に言えば”空気嫁”なのだが。
恐らく、日本人は空気の読めない人間に対して酷く厳しい。
領海侵犯されようとも国土侵略で蹂躙されようとも領空をミサイルが飛び交おうとも国内に大量に薬品漬けやら危険部位が混入したの食品を輸入され、国外に円を持ち出されようとも、原子爆弾を落とされようとも怒りはしない日本人が、空気を読めないヤツに対しては怒るんだもの相当なことなんでしょうよ。
というよりも空気という<場>(空間・時間的な)の文脈を、相手が言の葉を発する前に状況を把握するという「推し量り」という形で捉えることを美徳としている節がある。
空気を読む、言葉自体は諸外国ではあまり聞かれないが、閉鎖的な日本的<世間>という大衆言説(この言葉自体矛盾を生じている気がするが)に晒され続けてきた日本だからこそ鍛えられたシロモノなのかもしれない。
だから、風なんか読んでる場合じゃねぇんだよぉぉ>筑紫
written by sofuwe
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