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2007年7月2日(月) 05:30

どんぶり勘定

[年金払わない奴は国保も止めてやる]


おいおい、このどんぶり行為、すなわち国民健康保険法に依拠しないこの措置は明らかな違法行為では?
国保を払ったのに止められるってどんな振り込め詐欺だよ。
しかも強引に特別法を通そうとしても「健康で文化的な最低限度の生活」の”最低限度の健康”が脅かされる時点で我々の生存権も重大な侵害を受けており、違憲立法に当たると思うのだが…

ちょっとこれも国民バカにしすぎだろ。

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2007年4月27日(金) 01:23

顧客へのサービスとリスク

[『マック難民』急増中]

マックの中の人達(現場の)からでなくても、これは明らかにDQNホイホイ。しかも満喫難民まで流れてきちゃあ。予測できたことだろうに。

「営業時間を延ばす」ということはただ単純に営業時間の延長に直結する人的リスクや営業コスト増といった「縦のリスクの増加」だけではなく、衛生リスクや治安対策のように付随してくる「横のリスクの増加」も考えなければならない。

「利益>損失」と踏んだからこその24時間営業なんだろうけれども、”損失”に転じる可能性がある「横のリスク」を甘く見過ぎたんじゃないだろうか。
 

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2007年2月7日(水) 11:21

溶けゆくのは何か

[子供以下のどうしようもない親が急増中]


どういったものに対して”日本人”を抱いているかは分からないが、”親らしい親”は減った気がするなぁ。

あくまで”教育”って社会の再生産装置だって話で。

いやね、親って愛情をもって子供に接するべきだと思うのですよ。この考え方自体現代的だとは思うんだけど。
(前近代なんかは子供はマンパワーだし、若年であればあるほど人格を認めていなかったのは葬式をやらなかったとかそう言った話ですぐに散見できる。)

んで愛ってのは見返りを求めない自己犠牲的なやりとりで。
すると子供から何かをしてもらおうって方がこの現代社会では理性的ではない(動物的? 前近代的?)よなぁ。

そう言った意味で”現代教育における親像”は、過剰な個人主義時代の到来で溶けてきているとも言えるだろう。

だけどその要因はやっぱり”教育”、つまり前の世代からの課題以外何ものでもない訳で。

つまるところ、教育は一度も成功していないのではないか。
溶ける、と危惧したところで、元より確固たるモノはなかったのではないか。
そういった近・現代”幻想”がむしろ現場を苦しめているのではなかろうか。

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2007年2月1日(木) 00:18

ゆとりという名の放置

[ゆとり教育を調理実習に例えると]


はたまた、説明書を渡さずに「たけしの挑戦状」をやらせるみたいな。

小・中学校の勉強が何で「勉強のための勉強」って言われてるか考えて欲しい。
「知識を得るために必要な最低限の手段を得るための勉強」という意味で考えると揶揄でもなんでもなくなる。

もちろん理想を掲げるのは悪いことじゃない。
でも手段が稚拙すぎたんだと思う。

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2007年1月31日(水) 05:07

教育装置としての塾

[「塾は禁止」 野依先生は壊れてしまわれた]


懐古主義に陥って体験談だけでしか議論が出来ない、”学のない”人間(いわゆる”勉強ができない”という意味ではなく、教育学といった体系を修めていない、という意味)だけで踊る教育再生会議に何の意味があるのだろう。

第一教育って社会の再生産論なんだから、「今の教育全体が病んでいる」というのならば、「そういう教育を行っている連中を教育してきた」懐古的教育は実は破綻していた、という前提の見直しすらせざるを得ない。

教育は未だ完成形を見ていない学問体系だろう。
(学問の体裁をしていること自体完成を見ないといっているようなものだが)


んで、「学のない」ってのは当然その批判は僕のような現場人間にも返ってくる訳であって、是非教育学部で学を修めた人間に議論と旗振り、根本的な構造改革を求めていきたいところであるが、現場の人間ですらこの人たちが発する言葉が空理空論であることが理解できてしまう。

そりゃ理想だけなら小学生だってあげられるっつーの。

カンカク的に「あれはダメだこれはダメだ、だからこーしろ」というのは論文書きとしてもあまりにプロセスが抜けているのが分かるだろ。
物理学はそうでないのか? そうしたことも野依先生は忘れてしまわれたか?


少なくとも今の時代、理由は分からないが、教育の元でもあり子供の生活の基盤でもある”家庭”のもつ機能が減っている。格差が広がる中で、”下層”に位置づけられた家庭が今までの”中流”家庭が提供してきたサービスを子供に注げるとは甚だ考えづらい。
その負担は学校に流れるため、近年学校に求められる負担が大きくなりすぎている。さらにその溢れた分が塾にきている。主に修学・訓練の部門だ。

例えば今の話だと、雇用の問題も充分教育を死にたらしめていると考え得る。
だから財界の勝ち組なんかが教育再生会議にいて、その議論に全く触れない時点でちゃんちゃらおかしいのだ。

さもなければ永遠に終わらない対処療法を現場に押し付けるか、「ゆとり←→詰め込み論」のような空虚な原則論を朝令暮改に変えて現場を困らせるかにしかならない。


もうちょっとさー、トップダウンガバメントではなくてさ、現場が蓄積を作ってボトムアップの問題発見→解決をするガバナンスを構築するって考えはないのかねぇ。
現場の公立の先生達を馬鹿にしすぎだよ、あんたら。

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MySketch 2.7.2 written by 夕雨