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2006年8月20日(日) 05:09

【連載】国語の読解技術論(その1)

 中学受験・高校受験においては大学受験や速読のような洗練された読解技術理論が教材に載っていることが非常に少ない。そのため、私は中学時代からシステマチックな読解方法を編み出す試みを行い、現在のバイトに就いてからは大受であるような技術を平易化して小中学生でも理解できる形に落とし込む取り組みをしている。
 中受・高受の世界においては先に述べたように読解技術が流布していないために国語は”フィーリング”で解く教科であるという理解がされてしまっている。そのために模擬テストなどでは得意なジャンルの文章にはまったときは高得点だが、意味が分からないものにあたるとからっきし、という結果の乱高下を招きがちである。他者もこの傾向は同様になるため、安定的に国語の点数を叩きだせることは他者に追随を許さない武器を得ると同義である。
 ・・・と大風呂敷を広げては見たが、その実内容は大したものではない。今回は「まず文章のどこに目をつけるべきか」という解説を行う。

続きは↑のリンクから。


 整然とした美しい文章においては、全ての段落・文・文節・単語のひとつひとつにまで「ただある一点の言いたいこと」を表現するために、筆者によって選定され、配置されている。こと、分かりやすい文章になるよう筆者が心がけて作った文章は読者を惹きつける展開パターンを持っている。(会話であれば「話法」というところだろうか。)それは「起承転結」であったり「序破急」であったりするところであり、もう少し大雑把に言えば「<序論>と<本論>と<結論>(*)の組み合わせ」で展開させると分かりやすく整然とした文章が組みあがる。
 序論と本論と結論という大枠で考えるとそのパターンは以下の通り三つある。

1)尾括型:『序論―本論―結論』
2)頭括型:『結論―本論』
3)双括型:『結論―本論―結論』
(”括”とは”くくる”、つまり”まとめる”という意味から、”結”論部の所在を意味する。)

 例え話をしよう。「横浜ベイスターズの試合を見なさい」と私が言いたいとする。そのときの展開を考えてみよう。

(1)の場合では
 「そういえばさ、高校野球、熱い試合が続いてるね〜。(序論)」
→「でもプロ野球も面白いんだよね。逆転勝ちしてるチームもあるし。(本論1)」
 「んで君は横浜市民だろ? 折角だから地元の球団応援しようよ。(本論2)」
 「横浜が優勝すると市内全域が優勝セールで大もうけだぜ? 応援しがいあるじゃんか。(本論3)」
 「若手も成長している最中だし、その意味じゃ一番ハッスルしてるぜ、これは熱い!(本論4)」
→「だから(本論1,2,3,4より)横浜の試合をみるといいんだよ!(結論)」
という流れになる。本論は結論の根拠になっているのだ。

それに対し(2)の場合、
 「いやね、横浜ベイスターズの試合を見るべきなんだよ。(結論が序論の役目を果たしている)」
→「なんでかっていうとね、横浜市民としての義務があるからなんだよ。(本論1)」
 「それにね、市内全域が(ry(本論2)」
という流れになる。これは結論を先に言うことで相手に言いたいことを真っ先に伝え、インパクトを強くするパターンだ。ただしだらだらしゃべるのには逆に向いていないし落としどころがつかみにくい。そのため(1)と(2)をあわせた(3)のようなパターンが存在する。

 「いやね、横浜ベイスターズの試合を見るべきなんだよ。(結論が序論の役目を果たしている)」
→「なんでかっていうとね、横浜市民としての義務があるからなんだよ。(本論1)」
 「それにね、市内全域が(ry(本論2)」
→「だからやっぱり横浜の試合を見るべきなんだ。(結論2)」
というように結論2が念押しをする、というのが双括型である。

 文章の大枠をつかむ、ということもあるが、筆者が最も言いたいことを読み取るのが読解の本懐であるから、「ただある一点の言いたいこと」、つまり結論部を読み込めばそこで試合は終了する。従って結論部を読めば最低限事足りるのであり、また真っ先に読んでしまえば不必要に難解な本論を読み飛ばしても差し支えない。先に挙げた3パターンにおいて、結論はいずれも「最後か最初のどちらか」にある訳だから、その文章のエッセンスは最後か最初に集約されているといってよい。(芸術的な論理展開は美しさすら覚えるのだが、受験においてはそこを涙ながらに捨て去る必要がある。)「最後→最初→本論がある真ん中」という順番で読むようにクセをつけると格段に読むのが早くなる。結論を読んだために「どのようにその結論に導いていくのかの推測」が立てられるため、本論はアタリをつけて読むことができ、そのため読む速度が速くなるのである。(最初の予想でミスリーディングを行った場合、予想を訂正するために最後に真ん中を見直すという工程が役に立つ。「最初」は空振りしても<話題>がふくまれている訳だから、どんな話なのかの予想がつけやすくなる。)

 アタリをつけるという意味では問題文から読むのが最も効率がよい。その上で文章中で目をつけるべきはまずは結論が潜んでいる可能性が最も高い「最後」である、という結論に至りたい。

 要は、「まずは問題文を、それから『最後』読んで、次に『最初』、本論は一番後回し」、なのである。


追記
 さて、今回の話は受験用の文章に対して書き下ろしたものであるから、一つの文章の文字量として2ページ程度ぐらいのものを射程としている。それ以上の分量になると恐らく本のように文章を章立てて分けているため、さらに大枠の結論が登場することになる。しかしそれにしてもスケールフリーで先の議論は適用できるものであり、たった一つのことを一つの本を通じて読者に伝えようとする、というのがよく出来た論説本である。また、論文もしかり。
 ところで、物語文とは文章を読ませること自体に意義があるため、「分かりやすい」を主眼に置いた体系をなしていないことが多い。そのため読み方(展開の追い方)が変わることを付しておく。(その3ぐらいで触れる予定。)
 しかしながら筆者の意図・結論を先読みして読み飛ばしていくこの読み方はわれながら実に無粋な読み方であるとは思ったりする。



(*)
序論:相手を惹きつけるためのきっかけ、つまり導入部分の意味段落(*2)。
   <話題>が含まれる。
本論:説明文や論説文の本体ともいえる、説明や論説部分の意味段落。
   結論を導くための論証がロジカルに組まれている。
結論:筆者が述べたいことが修められている意味段落。
   序論や本論は結論を導くための壮大な”オマケ”である。

(*2)
意味段落:形式段落を文章内の役目ごとにまとめた段落の集合体。
形式段落:文を一つの話題で固めた集合体で、文章内では一字下げた形式をとっている。

written by sofuwe [コラム] [この記事のURL] [コメントを書く] [コメント(0)]

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