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2006年1月22日(日) 02:41

論文を書くということ

以下、自分への戒めと確認を含めテキスト化しておくと有益化と思うので書き出しておく。異論、修正はコメント欄にて。

(つづきは上記リンクから。)

 論文とは、研究成果をまとめて文章化することによってその知見を社会に役立てんというものである。(研究とは何かというと研究とは自分のためだけの知識の集積である勉強と異なるもので他者のためになるという「公共性」を持たねばならない。)
 ただのレポートは知識を収集・整理したものを文章化するだけで体裁をなす。つまり、事実の羅列であったり結論として雑感が入っていたりしてもよいのである。つまり、勉強の範疇でことが済む。が、論文は検証や分析手法は使い古されているものでよいが、結論(アウトプット)が研究の最先端(土屋先生の言葉を借りるならstate of art:技術の最先端)を超えていなければならない。(創造的でなければならない、とも言えるかな。)ここに大きな差異がある。

 さて、論文は様々な類型が存在する。調査型、考察型、提案型、実験型、作成型などが挙げられるようだ。・・・「社会調査、文献の二次調査を行い新しい問題を発見・指摘し、はじめに立てた仮説を実証する。」「既存の情報を元にとある問題を指摘し、妥当性のある解決手法を提案する」といったのが文系が書く論文の大半だろう。(調査・考察・提案型。)まぁ提案型には特許出願といった形もあるので理系も書くだろうし、それぞれの範囲は曖昧だろうからここにこだわる必要はあまりなさそうだ。
 しかして共通する重要な要素としてはいずれも「新規性・創造性」が求められる訳でなおかつ「公共性」がなければいけないということだろう。つまりロジックとして「今まで・・・といっている人が探し回ってもいなかったから言ってみるよ」という資料調査と「だって・・・ということは社会に役に立つんだ」という論理的な説明が必要で、説得力を出すにはそこに妥当性が求められる。(妥当性という言葉を使っているのはコレ!という真理が出ることばかりではないから、読む人の多く(真理でなければ全員納得というのは無理である。価値基準なんて決められないからね。そもそもそれが真理でも人間ってヤツは納得しないものだ。)が納得をするという落としどころが必要だ、ということからである。)

 で、何を題材にするか、というのはやはり研究の最先端(state of art)の境界から引っ張ってこなければならない。そしてその境界を突き出すためには誰も言っていない自分の言葉が必要になるのである。(新規・創造性)

 文系が書くような仮説検証手法の論文は大体こんな流れになるだろう。
「調査をしたら・・・という問題点が浮かび上がってきた。(勉強的な準備研究段階)」
→「では・・・について調べている人・取り組んでいる人はいるのか(最先端であることの下調べ)」
→「・・・という問題があることが分かった。(ここで初めてRQ:リサーチクエスチョンがでてくる。)」
→「では、どのような解決方法があるのか。例えばこんなのはどうだろう。(仮説の打ち立て)」
→「論理的に仮説検証をしたところ〜という結論を導き出した。(結論登場。その妥当性の検討、そして考察)」
 リサーチクエスチョンに対して妥当性のある答えを導き出せたら結論、おしまい、という形にまでRQは絞り込まなければRQとは呼べない。つまり問題発見という一番最初の段階が一番気を揉むところであり、ここが確定すると8割方論文は終わったようなもの、ということのようだ。
 問題発見をするためには”何を以って問題か”という問題意識が問われる。学問の体系によって既に研究を進めるための前提条件があり、というのがあれば楽であるがそうでなければ自らの立場を明らかにしながら前提条件をはじめに明らかにしておかなければならない。(経営学で論文を書くならば例えば「資本主義にのっとっているから、利益を儲けることの是非は大前提として、ビジネスモデルを提案していく」のような。)そうすると社会学とか哲学の論文というのは前提の置き所に苦心する。だからこそ初めはとにかく一点に問題点を絞り込んで取り組むことが練習として必要なのだろう。

「小さな小さな穴から広い世界を見通す。」とのこと。言いえて妙だ。

参考:
・「@卒業論文」
・伊藤潔「研究と勉強の違いについて」
・土屋先生、苗村先生、国領先生ら諸尊師方の発言

written by sofuwe [授業・研究] [この記事のURL] [コメントを書く] [コメント(0)]

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