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2008年6月22日(日) 02:11

ワタシノシゴト(3)

 前回の予告通り、組合について話そうと思う。サービスを提供する人間の質を左右する上では触れておかなければならない話題である。

ちょっと長いので、続きはこちらから。



 労働組合とは「雇用環境の向上などの一致した要求に基づき賃金労働者が自発的に団結して組織した団体」であり、これについては一般的な民間企業の組合と変わらない。また、よくある誤解を正しておくと、公務員であっても一部職種(消防・警察)を除いては、その結成が認められている(ただし争議権や労働協約締結権は認められていない)。
 学校をとりまく労働組合の体裁を成しているものは、最もよく知られているものでは日本教職員組合(通称・日教組)やその下部組織である地方自治体の教職員組合があるが、横浜の場合県費負担職員が教職員組合に属し、その他市費負担職員は横浜市従業員労働組合(通称・市従)など、多数存在する組合のどれかに属している。その組合によって、アジ色の濃淡や主張、参加率が全くことなるので紋切りな議論はし難いのだけれど、今回は「教職員組合」に話を絞る。

 「使用者との闘争によって労働者の権利を守り、主張していく」ということ自体社会主義的・共産主義的発想であり、日教組はおろか労働組合といわれるものは全般的に社会主義・共産主義色が色濃いし、日教組やその中枢たる神奈川教職員組合(神教組)、浜教組の母体なぞモロであった。共産主義が強かった70年代はその勢力は全盛であり、彼らが国会の前で座り込みをしたことで、いくつかの権利をむしり取っていったことは確かだ。現状の教職員の福利厚生が民間に比べて手厚いのは、未だ公務員の世界に共産色が残っているから、という向きもある。こういう議論は、だいたい彼ら組合の主張といって過言ではない。共産主義が強い時代は、社会的にもこういった主張をしていくことが良しとされていた節もある(もちろん国鉄ストみたいに大反発を喰らうとかもあるが、今の時勢に比べれば、という話で。)。
 だが、共産主義が衰退するに従って、組合運動も弱体化の一途を辿る。企業が肥大化したことによって相対的に弱体化した民間企業の組合の多くは解体させられていった。そうしたことから、世間で騒がれているほどの影響力は、過去のものほどではなくなってきている。例えば、教育委員会なぞはもう組合の主張なぞ歯牙にもかけなくなってきている、ということだ。世論との主張の乖離は、「当局&市民対組合」という構図を生み、組合活動への理解が得られなくなってきたためだ。この影響は大きい。全盛時、組合活動によって学校を離れる場合は「職務専念義務免除」が承認されていた。要は「年休(有休)をとりもせずに、本務から離れてよい」とされていた訳だ。大手を振ってサボりを承認されているといってもあながち間違いではないかもしれない。現在では年休を取るか休日に組合活動をねじ込んでいるようだ。
 また、政治色が強かったために当局からマークされた、というのも大きい。為政が(現代からしてみれば)反社会的な存在を見逃すわけもないし、何より労働組合の体裁を成した「国策を無視した教義を子どもらに教え込む、思想集団」を、放置しておくわけがない。昔は民間企業にもあるように「組合の役員を経て、社の重役のポストに就く」といった暗黙の協定があったりしたようだが、上記のことから、現代では教育委員会や管理職(副校長や校長は組合員にならない)に「とにかくたてつく」のが精いっぱいな感がある。
 
 ゆとり教育を推し進め、個人主義をつきすすめた日教組教育(政治)が、モンスターピアレンツを生んだという話がある。モンスターピアレンツが拡大再生産をすすめ、結局のところその苦しみが自分たちに返ってきているのだから可笑しな話だが、こうした現代社会にそぐわない彼らの行動(服務命令無視、教科書からの逸脱教育など)が管理職を苦しめ、その命を奪い始めているのだとしたら、笑えない話だ。
 事務職員は管理職ではない。が、管理職と組んで服務状況を調査したり、労働環境を整備したりする。もちろんそこに、命令権はない。そして、基本は教員に対して圧倒的少数だ。孤立しやすいと言えば、孤立しやすい。全国でも有数の組織率を誇る浜教組においては、教員部では90%近くの組織率を誇るが、事務職員部では30%程度にまで落ち込む。約1/3が2000年以降の採用となった本市においては、現代っ子気質で組合のアジ色の強さを嫌う人間が増えたのと、彼らにとりこまれまいと距離を置く事務職が増えたといえるだろう。いずれにせよ、教員との距離はさらに広がる気もする。

 これは推測の域をすぎないが、大蔵省に目をつけられた事務職が、県費職員であり続けた理由の一つとして、組合との距離感もあげられるかもしれない。彼らと距離を置くかは別にして、事務職員は多忙化する副校長の仕事(もちろん事務職員の本務ではない)をぶんどってまで、存在をアピールしてきた。同じ校内にいる人間にまで「あの人たちってあんまりいらないよね」と言われたらおしまいだから、と。その分事務職員も多忙化したが、結果組合によらない形である種の地位を作り上げた。
 面白いことに、それによって…なのかはよく分からないが、副産物らしきものもできた。広く校務分掌を把握したことで、副校長や校長に昇任する事務職が出現しだしたのだ。もちろん免許外であるから授業はできないが、係長試験を受ける以外に存在しなかった配置転換の道を開いた、というのも、一般的に見れば「公務員らしくない」せせこましい努力によるものなのかもしれない。

written by sofuwe [仕事] [この記事のURL] [コメントを書く] [コメント(0)]

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